モラトリアムPTの備忘録

まだモラトリアムを抜け出せていない兵庫県で理学療法士をしている者のブログです

臨床研究と基礎研究の狭間でもがく

お疲れ様です
本日も勤務された皆様お疲れ様です

さて今日は研究のことで悩んでいること、葛藤していることです

修士では基礎研究、博士では臨床研究を一生懸命やりました

ここでいう基礎研究とは結果に影響を及ぼす可能性のある環境を操作可能である研究のことを言っています

また、臨床研究は病院や施設で実際の患者さん、利用者を対象とする研究のことをいいます

まず基礎研究
先ほど述べましたが環境を操作できます
部屋の温度から湿度、明るさ、運動方法や負荷強度等ありとあらゆるものを極論ですが設定できます
対象者も健常成人であればそこまで大きな刺激への振る舞いも変わらないことが多いです

臨床研究は患者さんのデータを使用します
患者さんは人間ですので年齢、身長、体重、疾患名、疾患の重症度等、100人いたら100通りのパターンがあると思います.基礎研究でもテーマによっても健常成人でも振る舞いが変わることもありますが,,


でも大半の研究は母集団の中でパターンを見つけてカテゴライズ,その作業の先に新たな発見をするというのが臨床研究だと私は思っています

さらに最近先輩の会話で気づかされたことがあります
それは理学療法って個別性のある治療手段であるということです
患者さんの個別性があるってこととセラピストの個別性があるってことです.
要するに同じ治療を治療をしてもセラピストの技量(治療中の言葉かけや,病棟でのコミュニケーション等)で結果も容易に変わってしまうということ,患者さんの個別性が交われば余計に複雑になります

我々理学療法士のinterventionが統一出来ない,患者の特徴が一様でない
だからこそ研究が必要であってサイエンスで解決できるところとそうでないアートの部分をはっきりさせることが必要です.


医師から処方されるお薬は用法はもちろん、用量が決まっています
用量っていうのはどの程度投与された個体に影響を及ぼせるのかっていうことが定量化されていることを意味すると思いますので理学療法はどうなんだろうと,~手技をやった人とそうでない人のADLを比較なんてしてもなんかよくわからないですよね.~手技ってアートの要素が強いからそもそも何が何だかよくわからない.定量化できないからそもそもこれは標準化なんて出来やしない.同じ患者さんにやるABABデザインみたいなものならまだ検証できます.でもエビデンスはやはり低い.あきらめてアートとした方が清々しい気がします.私だけでしょうか?
特に神経理学療法ではそこが強い気がします.循環器理学療法なんかはそこら辺が整理されている気がします.

だから脳卒中患者の運動麻痺とか質的なものではなく,骨格筋量とか数値化した筋力とかの方が研究としては受け入れやすいと個人的には感じます.

で今日のタイトルは臨床研究と基礎研究の狭間でもがいているんです.
基礎研究のような厳密性を求めるとアウトプットができない,論文が世に出なければただ意味のない文章です.多くの人たちに貢献できるのはやはり健常成人を扱った基礎研究なのではないかと最近思います.
個人的に興味があるのはもちろん,大義名分みたいなやりがいも感じます.

目の前にあるのは臨床研究,実際にやりたいのは基礎研究.ただのないものねだりですね.

どこか基礎研究にかかわれるような場所はないでしょうかね?因みに専門は近赤外線分光法を使用した脳血流の推定です.

そんな環境なかなかないと思いますので今しかできないことを全力でやります.